恵庭に電気が通ったのは、今からおよそ100年前!

更新日:2020年10月19日

大正11年(1922年)、恵庭の盤尻に「漁川発電所」が完成します。建設したのは、当別電気株式会社(後の北海道電力)で、漁川を活用した水力発電所でした。当時、発電機等の機材の運搬は、江別から船であの漁太の船着き場まで運び、そこから盤尻まで人力で運ばなければなりませんでした。(今の道路で測ってみると約14キロメートルの距離になります。)地盤の弱い農道では厚い板を敷き詰め、コロを使いながら人と馬で引っ張り(コロ引き)、整備されていない道路ではレールを敷いてトロッコに乗せ、そのレールを何度もつなぎ足したりしながら運ぶという、大変な苦労があったそうです。機材運搬には、当時の青年団による労働奉仕が大きな力となりました。

(注意)コロ引き:ある場所からある場所へ、物を動かす方法。移動させたい物よりも長い棒状の物を移動させたい物の下に何本も敷き、棒状の物の上を転がしながら移動させることです。

漁川発電所は、当初、1,000キロワットの発電力を有していて、夕張の炭鉱地帯への送電を目的としながらも、その沿線の地域や恵庭・北広島にも送電していました。恵庭村内では、でんぷん工場や木工場、映画館や精米所などは早くから電気が使えましたが、一般家庭に電気が届くのは戦後以降のことでした。

(注意)漁川発電所(現:王子製紙株式会社)の発電機は、現在も創業時のものが使われています。