恵庭の碑
恵庭市内には多くの碑が建てられています。
その中からいくつかをご紹介します。
恵庭の碑<開拓・生活>
実勇(じついさみ)碑
建立年月日
大正13年(1924)年9月
建立者
伊藤倉吉 他有志
所在地
恵庭市盤尻

鷲田仁作は明治9年福井県に生まれる。生来頑健な身体に恵まれ相撲道に精進せり。家庭を持ち農業で生計を立てるべく、明治37年北門開拓の志願を以って親類縁者を頼り渡道、江別を経て盤尻に入植す。天賦の才たる力士の夢捨て難く単身東京に出て国技館に入りて技を磨く。その後帰道して各地の草相撲に巡業。大正6年51歳で現役を退き、式守伊之助より行司免許を受く。それより昭和2年まで行司として全道を廻る。当時恵庭の相撲が盛大であったのはひとへに彼の功績であったと傳えられている。「實勇」は彼のシコ名で大正13年9月村会議員伊藤倉吉氏外一名が発起人となって多くの村民が協賛しこの記念碑が建てられた。
氏は昭和10年7月21日盤尻において60年の生涯を閉じた。風雪70年余りを経て破損甚だしきにより復元改修をなし祖父仁作の豪快な技量を追憶し顕彰せんとするものである。平成9年7月 鷲田誠 ~ 碑の説明板から転記 ~
漁村帷宮(いざりむらいぐう)碑
建立年月日
明治33年(1900)年9月2日
建立者
野原久造 他有志
所在地
恵庭市泉町

明治14年、明治天皇北海道開拓の実況と地方民情を御観察のため本道に御巡幸の折、9月2日札幌発輦、室蘭に向かわれた途中、恵庭にはこの帷宮碑の地点で小憩された。
この御巡幸が機となり、道路や橋梁は著しく改修されて便利となり、開拓の意欲はいやがうえにも高まった。のち、この御座所跡を開拓当時の意義ある史跡として、後世に残すため、明治33年9月2日、野原久造らが発起人となり、村民有志の浄財を得て建立されたものであった。
しかるに当初この碑は、島松沢の軟石によって造られたため損傷はなはだしく、昭和5年11月1日恵庭青年団漁分団の手で改築され、さらに昭和43年9月現状に移築している。
なお、碑文は正三位公爵菊亭脩季の撰になる。
~恵庭市史より引用~
恵庭の碑<信仰>
馬頭観音
建立年月日
不詳(戦前、戦中と思われる)
建立者
桜森地区の旧軍人と思われる
所在地
建立当初は恵庭市桜森、現在は恵庭市恵南
移転年月日
昭和23年(1948)年12月

緊急開拓者として入植した桜森にもともと建っていた。
桜森から立ち退く際、持参された。
六地蔵
建立年月日
昭和4年(1929)年
建立者
中央・上山口地区有志
所在地
恵庭市上山口
移転年月日
昭和23年(1948)年12月、平成9(1997)年


中恵庭の川沿通沿いにある六地蔵。かつて、子を亡くした親が供養のために1体の地蔵に思いを込めて備えたのが始まりだと言う。やがて、その思いは周囲の人にも広がっていく。日々の暮らしの平安を願い、五穀豊穣を願い、昭和4年に六地蔵とした。毎年8月24日、中恵庭町内会の人たちによって、祭礼が行われる。六地蔵を大切に思う人たち。六地蔵はそんなまちの人たちを、そして行き交う人や車を、今日も優しいまなざしで見守っている。(2016年8月24日撮影)
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更新日:2019年03月29日